徳川家康が生まれた岡崎城より北へ500mに「呉服のいちこし」はあります。 | 着物・貸衣装・レンタルなら岡崎の「いちこし」へ。

呉服のいちこし

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ブログ

徳川家康が生まれた岡崎城より北へ500mに「呉服のいちこし」はあります。

ブログ 2019年9月17日

Vol.947

 

本日は、徳川家康が生まれた岡崎城より

北へ500mに「呉服のいちこし」はあります。です。

 

岡崎市の呉服屋、呉服のいちこし。

 

着物を装い素敵になり、

ほめられて笑顔になる、

笑顔作りアドバイザーの

山脇寿人です。

 

ご訪問ありがとうございます。

 

 

ワールドカップバレーが、

始って、今週金曜日には

ワールドカップラグビーも

開幕します。

 

 

 

そんな国際大会では

自国の日本を否が応でも

応援します、よね。

 

 

 

そんな気持ちでわがふる里、

岡崎を独断でご紹介。

 

 

 

当店は、岡崎城より直線で

約500m北に位置します。

 

 

その為に、当店近くには

中華料理の名店「城北飯店」と

場所は変わりましたが

当店子供もお世話になった

「城北保育園」があり、

 

 

 

そして、なんと言っても

和が母校「城北中学校」も

あります。

 

 

 

 

どれも、お城の北に存在する為

名称が付きました。

 

 

そんな岡崎城は、岡崎公園内にあり

「徳川家康」が生まれたお城として

有名です。

 

産湯井戸

 

家康が江戸を治める為に

関東に移った時、家臣を

連れて行きました。

 

新宿御苑

 

その一人、内藤清成と言う武将は

今の新宿御苑辺りに領地があり

現在では東京都新宿区内藤町と言う

地名になっています。

 

半蔵門

 

 

また、今では皇居の「半蔵門」

江戸城の西側に置かれ有事の時は

将軍を甲州に逃がす為の門。

 

 

ここで将軍の安全を守るのが

本能寺の変で家康の「伊賀越え」の

護衛を務めた服部半蔵も岡崎に

屋敷を構えていました。

 

 

青山通り

 

家康が幼少の頃より小姓として

仕え、後に関東で町奉行を務めた

青山忠成は今の原宿、赤坂、渋谷に

屋敷があり高級ブティックの並ぶ

青山の地名の由来となっています。

 

 

 

この様に東京の地名には

岡崎と深い係わりがあり

家康がいなければ、

東京も存在しないかもしれません。

 

 

 

そんな偉大な家康を生んだ

我がふる里「岡崎」。

 

 

 

そんな誇らしい「岡崎」で

今後も商売をさせていただきます。

 

 

 

 

本日も、お読みいただき誠にありがとうございます。

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