呉服のいちこしヒストリー、その8。 | 着物・貸衣装・レンタルなら岡崎の「いちこし」へ。

呉服のいちこし

0564-22-3259

ブログ

呉服のいちこしヒストリー、その8。

ブログ 2026年9月27日

Vol.3507

 

 

本日は、『呉服のいちこしヒストリー、その8。』です。

 

 

 

岡崎市の「呉服のいちこし」

和装を選ぶ楽しさと、纏う喜びを

全力サポートいたします。

 

 

ご訪問ありがとうございます.

 

 

 

昨日来の当ブログは、私の呉服業界

の入る事になった顛末や神戸のお店

に勉強に行く事になった過程などなど。

 

 

 

ま、それも「呉服のいちこし」ヒス

トリーですが、どちらかと言えば

私のヒストリーなので、話しを元に戻します。

 

 

 

神戸のお店での勉強期間は、5年間

でしたので、27歳となった昭和58年

(西暦1983年)3月末で自店に帰る事に。

 

 

 

と、思っていましたが3か月の「お礼奉公」

をと言う事で、実際にはその年の7月に

岡崎市の帰って来ました。

 

 

 

帰ってきた「呉服の一越」は、父が

叔父から独立して母と二人でお店を

借りて営業をしていました。

 

 

 

それは、私が神戸に勉強に行った年に

叔父と父が、話し合いを行ったのは、

両方の息子が呉服屋になる、と言う事。

 

 

 

叔父の息子さんは、もう「呉服の一越」

で働いていましたが、私が呉服の勉強

に行ったと言う事は、私も呉服屋になる、と。

 

 

 

そこで、将来叔父親子と私達親子と

4人で「呉服の一越」を続ける事は

難しいのでは、ないか?と言う事に。

 

 

 

もうその時は、叔父と父兄弟で始めた

お店でしたが、弟が退職して叔父と

父と二人で経営をしたいたのです。

 

 

 

そこに、私が入っても上手く経営が

出来ないのではないか?と言う懸念が

あり、父が円満な独立をしたのです。

 

 

 

円満な独立と言うのは、「呉服の一越」

と言う屋号は、父が引き継ぎましたが

岡崎呉服商組合には、入らない。

 

 

 

また、商売人にとって宝物のような

既存のお客様名簿も分けることなく、

それぞれが自由に営業が出来るように。

 

 

 

そして、昭和58年7月に自店に入社、

両親が、非常に喜んだのは言うまでも

ありません。

 

 

 

勿論、私のお客様は、皆無だった

でしたので、それこそ地元の私立

女子高校の名簿を何とか入手。

 

 

 

それからは、岡崎市の地図でお宅を

調べ、いわゆる「飛び込み訪問」の

日々でした。

 

 

 

当時は、「跳び込み訪問」をしても

今と違いまだまだ、対応をしていただける

お宅も結構ありました。

 

 

 

そして、お盆が過ぎ当店の秋の

第1回の陳列会を行う事となり

ますが、それは明日の当ブログ

の記事といたします<m(__)m>

 

 

 

本日もお読みいただき 誠に

ありがとうございました。

 

 

追伸・和服で、お困りのこと

なら何でもご相談、承り必ず

最善のお応えをいたします。

記事一覧に戻る

先頭へ

Copyright (C) ICHIKOSHI All Rights Reserved.